松本匡史の成績や年俸は?ワンピースユニホームや妻の献身も話題!
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目 次
松本匡史のプロ野球生活を支えた妻の苦労!患った病気とは?
1970~80年代にプロ野球選手として巨人軍で活躍した松本匡史さん(61)夫妻が、テレビ番組『壮絶人生ドキュメント プロ野球選手の妻たち』に出演してました~。
タイトルの通り、プロの世界で成績を残すのも至難の業ですが、それを支える奥様も大変な生活を共にするわけですよね。
シーズン中は色々なアクシデントや怪我に見舞われることもあるでしょうから、気が休まることはないのかも…。
松本匡史さんが選手生命に関わる大手術を受けていたり、自律神経失調症と闘っていたことを知り、本当に夫婦でご苦労されてきたということがわかりました。
そういえば松本匡史さんって、当時、巨人軍の監督だった長嶋茂雄さん(80)から熱烈な誘いがあって入団したらしいですよね。
現役時代の応援歌は今でも使われていて、同じく巨人の外野手で俊足の松本哲也選手(息子じゃないですよ~)の打席で演奏されたりしました。
そんな松本匡史さんってどんな選手だったんでしょうか?と興味を持ちましたので、色々と調べてみました。
松本匡史 プロフィールや当時の成績は?ワンピースユニホームって何?
【松本匡史(ただし)】
本名 松本哲(さとし)
出身 兵庫県尼崎市
生年月日 1954年8月8日
身長・体重 180㎝/73㎏
【現役時代のデータ】
投球・打席 右投げ両打ち
ポジション 外野手
プロ入り 1976年、ドラフト5位
【通算成績】
1977年~1987年
試合 1016
打率 .278
安打 902
本塁打 29
打点 195
盗塁 342
年俸累計 1億6,000万円(出来高除く)
松本匡史さんの武器は、なんと言ってもその俊足。
1982年(61個)、1983年(76盗塁)と2度の盗塁王に輝いており、76盗塁はセ・リーグの最多記録なんですよ。
1983年はベストナインにも選ばれてます。
で、盗塁のヘッドスライディングをするとき、おなかに砂が入らないようワンピースのユニホームを着ていたらしいですね。
これ、斬新でグッドアイデアですね!
そして、当時は水色のユニホームと青色の手袋を身に着けてプレイすることもあったことから「青い稲妻」というニックネームで呼ばれていました。
SMAPの名曲で、私も大好きだった『青いイナズマ』(1996年)というのは、実は…松本匡史さんの活躍を歌ったナンバー…ではありませんので、悪しからず(笑)
カメラ目線でキムタクが「ゲッチュ!」って歌う部分が好きでした…。
松本匡史 長嶋茂雄に口説かれた?怪我や病気と闘いながらの野球人生!
話を戻しますと、松本匡史さんは元々プロ入りは考えておらず、社会人野球に進もうとしてたとか。
そこを「いわゆるひとつの~君のような“足のある”選手が必要なんだよ~」と言って獲得に動いたのが長嶋監督です。
巨人サイドは、松本匡史さんの入社が決まっていた日本生命の野球部にまで懇願し、自軍へ入団させたらしいじゃないですか。
この辺の口説き方は、さすがミスターですね!
そして、周囲の期待に応える形で成績を残された松本匡史さんでしたが、怪我や病気に悩まされることも…。
冒頭に書いた以外にも、現役引退後には「メニエール病」を患って大変だったらしいですね。
私の母親もメニエール病だった(今は軽くなりました)ので、そのツラい症状は少しわかります。
三半規管がうまく機能しなくなって、頭の中がグルグルしている感じで、酷いめまいと吐き気に見舞われるんですよね…(*_*)
そんな紆余曲折を経ながらも、引退後はコーチやスカウトや野球解説者などを精力的に務められてます。
2013年からは「日本女子プロ野球機構」のリーグアドバイザーになり、後進の指導などにも当たっているようですね。
…と、今まで書いてきた松本匡史さんの野球人生を、(19歳当時から)見えないところで支えてきたのが奥様だということです。
食事の栄養管理とか、ストレスを溜めないような環境づくりとか…。
病気との闘った松本匡史さんを励ましながら、「内助の功」をしっかり果たされる奥様に、ホント感動を覚えますね~。
ふと私も、妻に感謝しなければ~と思った次第であります…笑