大竹しのぶ 祖母・八重の人生&大竹様伝説がファミリーヒストリーで紹介!

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女優・大竹しのぶさん(59)の祖母・八重さんの人生や、「大竹様伝説」といわれる大竹家のルーツが、1月26日のNHK『ファミリーヒストリー』で特集されるとか。

 

今まで知らなかった大竹しのぶさんに関する情報が公開されるようなので、個人的にとても放送を楽しみにしています。

 

 

大竹しのぶさんといえば、ご存知、明石家さんまさんと結婚→離婚…。

 

女優を続けたい大竹しのぶさんと、家庭に女優を持ち込んでほしくない明石家さんまさんとの間で、すれ違いが生じたとかいう理由ですよね。

 

離婚時に2歳だった娘のIMALUさんも立派なタレントさんになりまして、「親の七光り」と厳しい意見を浴びながらも頑張っていらっしゃいます。

 

 

…と、前置きが長くなってしまいましたが、大竹しのぶさんのルーツが気になりましたので、自分でも調べてみました。

 

 

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大竹しのぶの祖母・八重の人生について

 

『ファミリーヒストリー』で取り上げられる祖母とは、大竹しのぶさんの母方の父母。

 

祖父は吉川一水(かずみ)さん、祖母は八重さんといいまして、もともと2人とも敬虔なクリスチャンでした。

 

 

東京都出身の吉川一水さんは1881年生まれで、1904年に「東洋汽船サンフランシスコ支店」に赴任し、10 年間海外で過ごしています。

 

そのサンフランシスコで、後に妻となる、4歳年下の八重さんに出会います。

 

 

キリスト教思想家の内村鑑三さんや、社会主義者の幸徳秋水さんとも交流があったという八重さん。

 

1905年、幸徳秋水さんは日露戦争で非戦論を唱えたため弾圧を受け、逃れるように横浜から乗船してサンフランシスコへ。

 

このとき、20歳だった八重さんも一緒に渡米したそうです。

 

当時、軍国主義に走る国内情勢にあって、八重さんは世の中の平和と正義を訴える活動していたのでしょう。

 

 

 

 

『ファミリーヒストリー』の予告では、八重さんに「事情があって子供を手放した過去がある」と紹介されてました。

 

ですから、この渡米をめぐって、家族が離れ離れになった可能性がありますね。

 

1915年に吉川一水さんと八重さんが結婚したときは、お互い再婚同士だったそうですし、やはりサンフランシスコの生活や、当時の時代背景が大きく関わってそうです。

 

 

自らの信仰と思想を信じて、渡米までした八重さんは、かなり活動的な女性だったんでしょう。

 

大竹しのぶさんは八重さんと会ったことがないそうですが、わが道を迷わず進んでいく姿勢(女優であり続けたいという部分とか…)は、基本的に似ているのかもしれませんね。

 

 

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大竹しのぶ 大武家のルーツがわかる「大竹様伝説」って何?

 

もう一つ、『ファミリーヒストリー』で取り上げられるのが、大竹家のルーツといわれる「大竹様伝説」というもの。

 

遡ること約300年前から、新潟県長岡市の語り継がれている話だとか。

 

 

伝説のあらすじは…

 

1704年、刈谷田川の大洪水による堤防決壊を防ぐため、名主だった大竹与茂七(おおたけ よもしち)は、自分の山の木を切り出して堤防を補強することに。

 

それでも木が足りなかったため、緊急の措置として、藩が所有する山の木と、大庄屋の山の木を切って補強しました。

 

 

この大竹与茂七の機転により、村人は洪水から助かり喜びあったのでした。

 

 

しかし、大竹与茂七に妬みを持っていた大庄屋たちは、勝手に山の木を切ったことを役人に密告。

 

実は当時、藩有林を無断で切った者は、極刑になる決まりだったのです…。

 

大竹与茂七は役人に捕らわれ、藩内の裁判にまで発展。

 

大竹与茂七は、堤防を補強しなかったら大洪水の被害に遭っていたことを主張したものの、最終的には「(主張を認めれば)農民がつけあがる」との理由から、意見は全く聞き入られませんでした。

 

 

大竹与茂七は縄で縛られ、歯を抜かれたうえで打ち首に…。

 

亡くなる前に「役人や自分を罠に陥れた者を、末代まで祟ってやる!」と叫んだといいます。

 

 

村人たちは、涙ながらに大竹与茂七を見送りました。

 

 

その後…

 

大庄屋をはじめこの件に関わった役人たちが亡くなるという事件が続発。

 

さらに城下町の大半が焼ける大火事が起こったため、「与茂七の祟りだ!」という噂が広まり、「与茂七家事」と言われるようになったそうです。

 

 

 

 

…なるほど、なかなか怖い“都市伝説”ですね…。

 

とはいえ、まさに村人にとっては、大竹与茂七は命の恩人であり“大竹様”だったわけですね。

 

人々の平穏を願って行動できるなんて素晴らしいと思います。

 

高岡市には、与茂七を祀る地蔵堂や墓碑などがありますので、興味が湧いた方はルーツをたどる旅をしてみては?

 

 

大竹しのぶさんには、まだ知らないエピソードがあって勉強になりました。

 

 

 

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