池田貴族 娘はアイドル,嫁は介護士!癌闘病の真実が今…墓の場所はどこ?
1999年に肝細胞がんで他界した池田貴族さんの娘(アイドル)と嫁(介護士)の現在や、過去の闘病生活などについてスポットを当てます。
2月10日の『爆報!THEフライデー』に、肝細胞がんのため36歳という若さで亡くなった池田貴族さんの妻・池田一美(かずみ)さんが出演されるようです。
池田貴族さんといえば、ロックバンドのボーカルとして活躍したほか、評論家・作家・心霊研究家といったマルチな才能を発揮された方ですよね。
かつてオカルト好きだった私にとっては、心霊研究家の印象が強いですが…。
闘病生活は3年間に及んだそうで、『爆報!THEフライデー』の予告では「夫の闘病中に看病を拒絶し、病室から逃亡… 」などと説明されてましたから、池田貴族さんはもちろんのこと、妻・一美さんも相当つらい事情があったことでしょう…。
現在は介護士の仕事をされてるそうで、その映像も紹介されてました。
そんな中、娘の美夕(みゆう)さん(18)が最近アイドルとして活動をスタートされたそうですので、こちらの情報も合わせて調査したことをシェアしたいと思います。
目 次
癌で亡くなった池田貴族のプロフィールについて
池田貴族さんのプロフィールをご紹介します。
【池田貴族(いけだ きぞく)】
出 身 愛知県名古屋市
本 名 池田貴(いけだ たかし)
誕生日 1963年5月8日(享年36)
学 歴 愛知県立千種高校 卒業
活動期間 1987年~1999年
1987年にロックバンド「remote」を結成し、原宿の歩行者天国(通称:ホコ天)などで活動していた池田貴族さん。
私にとっても懐かしい“イカ天”こと「イカすバンド天国」に出演し、この番組のアンケートで1位を獲得する人気ぶりでした。
1990年にはシングル『NO!』でメジャーデビューを果たし、アルバム『remote ancestors』もリリースしました。
みうらじゅんさんと別のバンドを組んだこともありました。
音楽活動のほか、“霊感タレント”といても活動。
父親が霊能師で母親も強い霊感を持っていたことが影響してか(?)、池田貴族さんもこういった力を持っており、心霊スポットなどに足を踏み入れると、過去の事件の様子が頭に浮かんだといいます。
そして1996年、肝細胞がんであることを告白。
3年間の大変な闘病を続けながらも、チャリティーコンサートなどを精力的にこなしました。
その原動力となったのは、1998年に生まれた娘・美夕さんの存在。
どうしても娘が3歳になるまでは生きなければいけない。
3歳になれば覚えていてくれるから
娘さんの名前から生まれた曲『MiYOU』をリリースし、『大生前祭』と銘打ったライブも決行。
痩せ細った身体で懸命に活動を続けましたが、1999年12月25日に亡くなりました。
最期の言葉は…
美夕、ママを頼むよ
…だったそうです。
癌で亡くなった池田貴族の娘・美夕は現在アイドルとして活動!
池田貴族さんが36歳で亡くなったとき、娘の美夕さんは1歳10カ月。
(1998年2月16日生まれ。現在の年齢は18歳です)
当時の年齢を考えれば、おそらく池田貴族さんの仕事っぷりを直接見たという記憶はないでしょう…。
しかし、父親のパフォーマーとしてのDNAを受け継いだようで、現在はアイドルユニット『Sluggers(スラッガーズ)』のメンバーとして活動中。
このスラッガーズは、もともとあった『白星☆ウィクトーリア』という野球をコンセプトにしたユニットの“妹分”として、2017年1月に発表されたばかりの新しいグループです。
そういえば、池田貴族さんも、中日ドラゴンズの大ファンでしたね…。
スラッガーズの中では、美夕さんは「結奈(ゆな)」という名前で活動していて、他のメンバーである、渡辺ななみさん、舞波ゆうりさんと計3人で、レッスンやライブやローカルテレビ出演などをこなしているそうです。
スラッガーズの結奈としてのツイッターアカウントを持っていまして、『爆報!THEフライデー』に出演することをツイートしています。
これから徐々に、スラッガーズの知名度が上がるといいですね!
ちなみに…
スラッガーズの名前の由来は「長打力のある強打者ぞろいのメンバー」という意味だとか。
ぜひ、池田貴族さんのような堂々としたパフォーマンスで“ホームラン級”の音楽やダンスを披露してほしいです。
癌で亡くなった池田貴族の嫁・一美は介護士の仕事に従事!墓はどこにある?
『爆報!THEフライデー』の予告では、池田一美さんがお年寄りを介護している様子が映っていました。
一美さんは1969年生まれで、三重県出身。
数年前までの情報ですと、三重県の福祉施設で介護士をされていて、ケアマネジャーの資格を取ろうとしていたようです。
現在もそこで勤務されているかはわかりませんが、ケアマネの資格は取得されていることでしょう。
介護の世界に身を置いたのは、やはり池田貴族さんのことがあったからだそうです。
冒頭に書いた通り「夫の闘病中に看病を拒絶し、病室から逃亡… 」という過去があったからこそ、一美さんは、病気などで不自由な人たちをサポートする仕事を選んだのかもしれませんね。
肝細胞がんの手術で4分の1を切除しながら、半年もすると新しいがんが見つかり、どんどん厳しくなる夫の闘病生活……
そんな中での娘・美夕さんの妊娠・出産…
池田貴族さんが亡くなる前年の1998年、がんは肺に転移し、1999年の夏には肝臓のがんが70個に増えて手術ができない状態になったといいます。
それでも仕事をしようとする夫の姿に、一美さんは逆に「私と美夕の存在が、彼を苦しめているんじゃないか?」と自らを責めたそうです。
そんな葛藤があったことを知ると…一美さんが“現実逃避”をしたくなったことも理解できる気がしますね…。
池田貴族さんが亡くなってから三重県に帰郷し、美夕さんと一緒に過ごしますが、なかなかショックからは立ち直れなかったといいます。
幼少の美夕さんに真実をうまく伝えられず、「パパは?」と聞かれると「仕事が忙しいから」とウソを言い続けたことも…。
一美さんも美夕さんも、“現実”を受け入れて普通の生活を送れるようになるまでには、随分と時間がかかったそうです。
それでも「ほかの人がしていないような経験をしてきたんだから、強く頑張ろうね」とお互いに励まし合って悲しみを乗り越えてきた2人は、しっかりと母娘の絆を深めたようです。
もうすぐ19歳の誕生日を迎える美夕さん。
一美さんにディズニーランドへ連れて行ってもらった様子がツイートされてました。
辛く悲しい出来事がありましたけど、これから母娘で、それぞれの信じる道を進んでほしいと思います。
池田貴族さんが、自分らしく生きたように…。
ちなみに…
池田貴族さんの遺骨は、名古屋市の平和公園に納骨されているそうです。
親子で苦難を乗り越えたこちらのエピソードも、もしお時間あったらお読みください。
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