藤真利子 父親・藤原審爾の闘病人生!直木賞作家が娘を女優として認めた最期とは?
女優・藤真利子さんの父親で直木賞作家の故・藤原審爾さんの闘病人生や、最期に娘に残した言葉についてスポットを当てます。
2月17日の『爆報!THE フライデー』に藤真利子さん(61)が出演。
11年に及んだ母親・静枝さん(2016年11月に92歳で他界)の介護の記録ノート65冊を公開しながら、これまでの苦労を語るそうですね。
その詳しい内容は放送を観るとして、そういえば、藤真利子さんの父親・藤原審爾さんとはどんな方だったのかしら?と気になりました。
1984年に肝細胞がんのため63歳で亡くなったそうですが、私はよく存じ上げません。
“小説の名人”とも言われた直木賞作家でしたが、数々の病気に悩まされていたようですね…。
目 次
藤真利子 父親・藤原審爾のプロフィールについて
藤真利子さんの父親・藤原審爾さんは、純文学、中間小説、エンターテインメントに至るまで、とにかく幅広いジャンルの作品をバリバリ書いていたそうです。
プロフィールをチェックしましょう。
【藤原審爾(ふじわら しんじ)】
出 身 東京都文京区
生年月日 1921年3月7日
没年月日 1984年12月20日
学 歴 閑谷中学校(現・岡山県立和気閑谷高等学校)~青山学院高等商業部 中退
幼少期に父母と別れ、父親の故郷で祖母に育てられたという藤原審爾さん。
プロフィールで「青山学院高等商業部 中退」とある理由は、肺結核を患ったため。
療養生活をしながら、雑誌編集の仕事と、自らの創作活動に没頭したといいます。
31歳だった1952年、貧しく不幸な境遇に生まれたために男に尽くすしかない女を描いた『罪な女』という作品で直木賞を受賞。
“小説の名人”の著書は200冊以上にも上るそうで、『秋津温泉』『泥だらけの純情』『新宿警察』といった作品が、映画・ドラマ化されています。
藤真利子 父親・藤原審爾の人柄や闘病生活について
次々に名作を世に送り出していた藤原審爾さんですが、上述した肺結核のほかにも数々の病魔に悩まされていたことがわかります。
肺結核が再発した1950年に2度の手術を経験し、肋骨8本を切除…。
入院中であっても、病院の費用や、妻・静枝さんと藤真利子さんへの仕送りを捻出するために小説を書き続けたといいます。
その後も、胆嚢を切除したり、心臓病、腎臓病、肝硬変、糖尿病といった持病に悩まされたとか…。
病気と闘いながらも小説を書き続けた精神力に脱帽ですね。
さすが、井伏鱒二さんから「底抜けに詩情ゆたかな筆致」と評価されただけあります。
もちろん生活するため、妻子を養うため―という理由が大きかったとは思いますが、何よりも藤原審爾さんは小説が大好きだったんでしょうね。
もしかしたら、小説があったからこそ、数々の病気も乗り越えられたのかもしれません。
また、藤原審爾さんは多趣味だったことも知られています。
陶芸、釣り、ビリヤード……野球チームも結成したことがあり、東京都代表として1969年の長崎国体にも出場したというから驚きです。
さらには自宅の建築設計を手がけ、マージャンは玄人レベル、二輪免許も取得するなど、興味のあることは何でもやってみるという性格が伺えます。
こうした経験もすべて、創作活動に役立てていたと思います。
肝細胞がんで亡くなるまで、自分らしい人生を歩み抜いた方だったんでしょう。
藤真利子 父親・藤原審爾は厳格な人!娘を女優として認めた最期の言葉とは?
一方で、藤原審爾さんは生真面目で厳格なところがあり、亡くなる間際まで藤真利子さんとは確執があったといいます。
(ちなみに…藤真利子さんの本名は、藤原真理さんです)
藤真利子さんが生まれたのは、藤原審爾さんが直木賞を受賞した3年後の1955年。
つまり、生まれた当時は、すでに父親が偉大な作家になっていたころ。
自宅には映画監督や女優が打ち合わせなどで訪れていたため、それを見た藤真利子さんは「女優になりたい!」と思うようになりました。
しかし、日ごろ厳しい藤原審爾さんは「女優にはなるな。勉強しろ」と猛反対。
それを押し切って藤真利子さんは22歳で女優デビューを果たすわけですが、藤原審爾さんが亡くなるまでの7年間は、ずっと父娘の間に深い溝があったといいます。
「父親に対して心を閉ざしていた」という発言がありますから、当時はおそらく、父娘らしい会話はなかったのでは?と推測します。
父親から離れた藤真利子さんは芸能人の友人たちと遊び歩き、“夜の女王”とも呼ばれたほど…。
しかし、そんな中で発覚した藤原審爾さんの肝臓がん……余命は半年だと宣告されました。
これまで、父親の反対を振り払って女優の道を進み、好き放題に遊び歩いていた藤真利子さんは、ここでハッと立ち止まります。
父親に冷たく接していたことへの後悔の念が押し寄せて……
藤真利子さんは、すべての仕事をキャンセルし、父親の余生を一緒に生きる決心をします。
そうして再会したわずか10日後に藤原審爾さんの容態が急変。
病床の藤原審爾さんは藤真利子さんを抱きしめて「お前が大好きだ」と呟いたそうです…。
もしかしたら藤原審爾さんは、女優の夢を叶えた藤真利子さんのことを、心の中ではしっかりと認めていたのかもしれませんね。
そして、天国に旅立つ間際に残した最期の言葉が…
君が輝いていたら きっとまためぐり会えるだろう
2016年11月に母親・静枝さんが亡くなるまでの11年間、テレビから姿を消して介護に専念していたという藤真利子さん。
上述したように、毎日の健康状態を記した介護ノートは65冊に及ぶとか。
ここまで母親に寄り添った理由には、私は、父親との確執に対する後悔が大きかった背景があるのでは?と思っています。
父親から聞いた最期の愛の言葉……でも、自分はそれに応えられていただろうか……。
そんな自問自答が聞こえてくるのは私だけでしょうか?
これから芸能活動を再開されるかはわかりませんが、いつか両親と笑顔で会えるように、藤真利子さんには輝き続けてほしいですね。
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