西口彰 生い立ち,子供の現在は?通報少女に宛てた手紙がコワい!(画像)
西口彰事件の犯人・西口彰の生い立ちや子供の現在などについてスポットを当てます!
4月14日の『爆報!THEフライデー』では、今から約50年前に起きた「西口彰(にしぐちあきら)事件」という凶悪犯罪が取り上げられます。
西口彰という男が、大学教授や弁護士を装って人の命を次々に奪い、複数の女性とも関係しながら、詐欺・窃盗を全国各地で繰り返した事件…。
私が生まれる前の事件なので知らなかったんですが、概要を調べてみると、なかなかヘビーな案件…といいますか、西口彰という人間の“心の闇”を覗き見た気がして、とても恐ろしくなりました。
当時の担当刑事も「これは、人間じゃないな」と漏らしたらしい…。
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指名手配で逃亡中だった西口彰は、結局、11歳の少女の発見・通報によって逮捕されるわけですが、捕まった後も少女宛てに「文通をしたい」と手紙を書くなど、ちょっと理解しがたい行動を起こしてます。
犯人・西口彰とは一体どんな人物なのか、生い立ちや子供などについて調べてみました。
目 次
西口彰事件のあらまし
はじめに、西口彰事件のあらましについて触れます。
事件は1963年10月~1964年1月に発生。
頭の回転が早く弁も立ったという西口彰は、大学教授や弁護士の身分をかたり、78日の間に計5人の命を奪い、金品を懐に入れる犯罪を繰り返します。
警察の捜査を巧みにかわしながら、全国各地を逃走…。
事件の経過は以下の通りです。
●1963年10月、福岡県
京都郡苅田町堤の山道で、旧・専売公社職員の村田幾男さん(当時58歳)が帰らぬ姿となって発見される(1人目の被害者)
田川郡香春町の仲哀峠では、運送会社社員の森五郎さん(当時38歳)が発見される(2人目の被害者)
●目撃証言などから、詐欺・窃盗で前科4犯だった西口彰(当時37歳)が全国指名手配に
●逃走中の佐賀県で指名手配されていることを知った西口彰は、瀬戸内海の連絡船に靴と書き置きを残して身投げを偽装……そして、神戸、大阪、京都、名古屋を転々とする
●1963年11月、静岡県
浜松市の旅館経営者・藤見ゆきさん(当時41歳)・はる江さん(当時61歳)親子が犠牲に(3人目、4人目の被害者)
●1963年12月~千葉、北海道、東京、栃木を転々としながら金を詐取
●東京都豊島区で弁護士の神吉梅松さん(当時81歳)が犠牲に(5人目の被害者)
●1964年1月2日、熊本で西口彰逮捕
西口彰事件の結末…通報少女のお手柄
逃走劇に終止符が打たれたのは、金目当ての西口彰が、熊本県玉名市に住んでいる教戒師・古川泰龍さん宅を訪問したことがきっかけ。
「教戒師」とは、受刑者らの矯正・救済などをする役割の人。
古川泰龍さんは、冤罪事件の防止にも取り組んでいました。
弁護士のちょっとした知識を持っていた西口彰と、古川泰龍さんは意気投合。
しかし、古川泰龍さんの次女・るり子さん(当時11歳)は、指名手配のポスターで見たことがあった西口彰の顔にピン!と来ます。
「お父さん、あのお客さんは指名手配のポスターにあった犯人の西口にそっくりよ」
当初、娘から聞いた話を信じなかった古川泰龍さんでしたが、西口彰の会話に矛盾が出てきたことから警察に通報……ようやく逮捕に至ったのです。
もしあの時、るり子さんが気づかなかったら……おそらく古川家も犠牲になっていた可能性は高かったでしょうね。
この事件解決の結末には、こんな表現がされました。
全国12万人余の警察官の目は、幼い一人の少女の目に及ばなかった
1966年、西口彰の極刑が確定。
裁判の判決文で「悪魔の申し子」と形容された男は、1970年に刑の執行を受けました(享年44)。
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それにしても、西口彰はどうしてこれほどの犯罪を重ねたんでしょうか?
生い立ちや経歴をたどると、事件を起こした動機や心の内が少しだけ見えてきました。
西口彰の生い立ちや子供の現在について
上の画像が西口彰です。
写真の表情からは人の命を奪うような人間には見えませんが……だから被害者の皆さんは騙されたようです。
西口彰は1925年12月14日生まれ。
大阪のキリスト教カトリックの家庭で育ち、信者になりました。
経済的に裕福な家庭だったようですが、戦前に移り住んだ大分県別府市で、旧制中学2年生のころから“道を外し”始めます。
窃盗と詐欺で少年院に入り、出所した後も恐喝や詐欺を重ねて刑務所へ。
それでも終戦直後の1946年、1歳下の福岡県の女性と結婚し、3人の子供ができたといいます。
長男は1947年6月生まれということですから、現在69歳。
長女は1951年11月生まれということですから、現在65歳になりますね。
3人目の子供についての情報はキャッチできませんでした。
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とにかく西口彰は、生きるための金を手にするため、また自らの欲望を満たすためなら、平気で嘘をついて人の命を奪う人間でした。
女性にもかなりモテたそうですから「オレを中心に世界が回ってる」とでも勘違いしていたのでしょうか?
しかし、その一方……
犯罪者の父親を持つことになった西口彰の長男はグレてしまい、学校を登校拒否するようになりますが、西口彰は「オレのような人間のマネをするな!」と悲しんだそうですね。
そして、長男に宛てて20枚以上の手紙を書いて非行から立ち直らせたという、なんとも奇妙なエピソードも…。
だったら初めから自分の家族や被害者らに迷惑をかける犯罪をするなよ!
どれだけ多くの人が血と涙を流したと思ってるんだ!…って言いたくなりますよね…。
もし現代に起きた犯罪なら、明らかに精神鑑定に回された人間でしょう。
西口彰が獄中で書いていた「罪は海よりも深し」という手記の最後の文章も、私には反省の色なしに感じられました。
私が刑場に引かれる姿を想像して笑ってください
当然の制裁でありましょう
長いことお騒がせいたし恐縮です
失礼いたしました
西口彰の動機は何だった?
キリスト教カトリックの信者だったという西口彰ですが、これほどの大事件を起こした動機は何だったんでしょうか。
警察の取り調べに対して「借金返済と、愛人に気に入られるため」と動機を語ったそうですが、そんな単純な理由で何の罪もない5人を手にかけることが何故できるのか、私には到底理解できませんね。
ただ、西口彰の深層心理が少しだけ覗ける出来事があるとすれば……それは1930年代、まさに日本が軍国主義を強化して戦時に突入していく時代背景にそれを見ることができます。
当時、西口彰の父親は、故郷の長崎県五島列島でアジ・サバ漁の大きな船を持つ網元として有名だったそうです。
しかし、天皇を神として崇め、戦時態勢を固める当時の“権力”にとっては、クリスチャンは邪魔な存在。
しかも漁業従事者となれば、真っ先に徴用されるターゲットになったようです。
国の権力に屈し、言いなりになる父親の姿を目の当たりにした西口彰…。
戦争によって、信じていたものが崩れ、少年のもろい価値観の崩壊につながったのでは?という見方があります。
また、五島列島には昔から隠れキリシタンの伝統があり、西口彰は中学時代からミッションスクールに入れられたそうですが、戒律が厳しい寮生活に耐えられず、中途退学してしまった経過があります。
このあたりの時代背景や挫折などが、西口彰の精神面にダメージを与えたことは、少なからず事件と関係していると思えます。
自分の内なる弱さを克服することができずに、逆に弱い立場の者を力でねじ伏せることに快感を得るようになったのかもしれません…。
大学教授や弁護士という“エリート”に成り切って…。
もともとプライドが高い性格だったんでしょうか。
西口彰が通報少女に宛てた手紙もコワい!
5人の大人を軽々と騙して命を奪い、警察も愚弄するような逃亡劇をつづけていた西口彰も、最後は、11歳の少女・るり子さんの機転によって逮捕されるとは皮肉なものです。
西口彰は逮捕から5年後、るり子さん宛にこんな手紙を送り付けてきました。
その折りは大変迷惑をおかけいたし、まことに申し訳ございませんでした。
るり子さんも高校生に成長なさって、朗らかに、毎日元気にお過ごしのこととうかがっております。
決して皮肉ではございません。
できたら今後、るり子さんと文通をしたいと思いますが、唯『こはい人』と言った感じだけを残しているのかもしれませんネ。
……私は、とても恐ろしい手紙だな~と思いました。
自分が逮捕される原因となった通報者に手紙を書いて「文通しましょう」だなんて正気じゃないですね。
「お前、どうしてオレの正体がわかったんだ」
「今までみんな、これでダマせてこれたんだ」
「お前はオレをどう思ってるんだ?」
「お前のことを教えてくれないか?」
……私は、そんなメッセージの手紙のように読めました。
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1975年、ノンフィクション作家の佐木隆三さんが、この西口彰事件を題材にした小説『復讐するは我にあり』を書き、第74回直木賞を受賞。
1979年、今村昌平監督・緒方拳さん主演で映画化。
2014年には、フジテレビ・Mr.サンデー特別版ドラマ『東京オリンピックと世紀の大犯罪』で西口彰が取り上げられ、陣内智則さんが西口彰役を演じました。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。